手日記A

支離滅裂で何言ってるか分からない文を得意とします。

寂れた空気は

    寂れた空気は美しい。

 

    作家にでもなったのかと言われればそうかもしれないと答える。今日はちょっと可笑しいものではない。

    家に帰ったのは22時過ぎなので、その帰路は人通りも少なく1日の喧騒を忘れさせるものであった。援団会を終えて、 自転車の籠に大きな荷物を乗せてゆらゆらと走り行く。だがこの籠、非常に厄介な問題を抱えている。外れているのだ。自転車を買う際に店頭に並んでいるものの中から2番目くらいに安いのを選んだのが運の尽きだった。そこらへんの枝の方がもっとしっかりしているだろうと言わんばかりの貧相な網目。固定もテキトーな感じなので、ついに先日籠が転げ落ちてしまった。とりあえず仮止めという形でビニール紐で結んであるが、大きくて重い荷物を置けばすぐに傾き心許ない。あいにく今日は部活の道具に雨具に体育着など多量の荷物だったので45度くらい傾いてしまった。最初は焦りながらも片手で傾きを抑えて走っていた。だが、なんとまあ人間の底力には驚かされた。傾いていることに慣れてしまってもう恥もクソも無くなった。まあ人通りが少なかったからというのもあるけど。

   そうして目線は籠から景色へと移った。

   いつもと変わらぬ道、いつもと変わらぬ風景、いつもと変わらぬ匂い。団地を見れば部屋から漏れる暖色系の眩い光が点々と輝く。住宅街を通れば、洗剤や家庭料理の落ち着く香りが僕を包む。あの家の食卓には何が出ているのだろうか。肉じゃがかな。ナス炒めかな。ナスは嫌いなのでもし僕が総理大臣になったら国内のナスというナスを残らず焼き尽くす。しかしそこにすれ違う人はいない。そんな情景は僕だけが変わらぬ「日常」の中に取り残されたのではないかというどこかノスタルジックで奇妙な感覚に浸らせる。確かにそこに生活の痕跡を残しながらそれを感じさせる偶像、つまり人に出会わないというのは一種のパラドクスのように思う。少し周りに目をやるだけでこんな不思議な気持ちになれるとは思ってもいなかったが案外悪いものではない。僕のためだけに動く踏切、僕のためだけに点滅する信号機、そして僕だけが通る夜道。

   こういう情景を形容するならば「寂れている」になるだろう。だが寂れた空気は美しい。何か変わったことも面白いことも1つもない。そういう空気が美しいのだ。

   唯一、帰路で人気を感じられたのがモンスターエナジーを買いにコンビニへ入った時だ。コンビニとしては大きめの駐車場があったが車は少なく、ここにも同じ情景が広がっているなと感じた矢先、入り口付近の灰皿に4人程の人が集まっていた。男女も年齢層もバラバラであったことからみな互いに見知らぬ顔なのだろう。灰皿は1つしかない。僕はそれを見て寂れた空気にどこか初めて滑稽さを感じた。みな寿命を削りながら灰を落としに密集していると考えると今までの帰路という淡い色彩に鮮やかな点を垂らされたような、そんな気がした。

   世の中やっぱり色々な人が生きている。寂れた空気はやはり美しい。それを含めても。

   ちょっと今日はカッコつけて作家ぽく書いた。でもマジでこんなことを思う高校生いるのか?少なくとも身近にはいないだろう。という事でもしかしたら作家に向いているかもしれない。お仕事のご連絡待ってます。では。